大阪地方裁判所 平成3年(ワ)4670号 判決 1995年5月19日
原告
甲野春子
原告
甲野夏子
原告
甲野秋子
右三名訴訟代理人弁護士
長添節
同
井上啓
右三名訴訟復代理人弁護士
藤木敏之
被告
丙山太郎
被告
株式会社乙川
右代表者代表取締役
乙川次男
右訴訟代理人弁護士
谷口由記
被告ら補助参加人
安田火災海上保険株式会社
右代表者代表取締役
有吉孝一
右訴訟代理人弁護士
北野幸一
右訴訟復代理人弁護士
大本力
主文
一 被告らは連帯して、原告甲野春子に対し金四〇万〇五三五円、原告甲野夏子及び原告甲野秋子に対しそれぞれ金二〇万〇二六七円並びにこれらに対する平成三年八月八日から支払済みまで年五分の割合の金員を支払え。
二 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用はこれを二〇分し、その一九を原告らの、その余を被告らの負担とする。
四 この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 請求
被告らは連帯して、原告甲野春子に対し金一〇〇〇万円、原告甲野夏子及び原告甲野秋子に対しそれぞれ金五〇〇万円並びにこれらに対する平成三年八月八日から支払済みまで年五分の割合の金員を支払え。
第二 事案の概要
普通乗用自動車と原動機付自転車の衝突事故によって原動機付自転車の運転者が傷害を負い、その後死亡した事案で、被害者の遺族が、右死亡は右傷害によるものであるとして、普通乗用自動車の運行供用者かつ運転者に対し、自賠法三条、民法七〇九条に基づき、雇用者に対して同法七一五条に基づき、損害賠償を内金請求した事案である。
一 争いのない事実等及びそれに基づく判断
1 本件事故の発生(被告丙山との関係での発生日時、場所は当事者間に争いがなく、その余の関係では甲一、二の2ないし7による。)
発生日時 平成二年六月二五日午前一一時三〇分頃
発生場所 大阪府高石市西取石三丁目三番六号先交差点附近
態様 被告丙山は、普通乗用自動車(和歌山五七ち五一二四)(被告車両)を運転し、右交差点を北から南に向かって進行中、交差点の南側路上に至り、停止するため左側に寄せたところ、被告車両左側を南進していた甲野一郎(亡一郎)運転の原動機付自転車(岸和田市と三五〇一)(原告車両)に被告車両左側後部を衝突させて転倒させた。
2 被告丙山の責任
被告丙山は、被告車両を左側端に寄って停止するに当たり、左通行余地が約1.9メートルあり、後続車両がその左側を通行することが予想されたのであるから、後方を注視し、そのような車両の有無を確認すべき注意義務があるのに、全く後方確認をしないまま進路変更した過失によって、本件事故を発生させたから(甲二の2ないし7)、民法七〇九条により、本件事故による損害を賠償すべき責任がある。
3 被告会社の責任
被告丙山は、本件事故の際、被告会社の従業員で(当事者間に争いがない。)、その業務の執行につき、本件事故を引き起こした(甲二の6)から、被告会社は民法七一五条により、本件事故による損害を賠償すべき責任がある。
4 傷害及び死亡
亡一郎は、本件事故によって、右膝関節顆間隆起部骨折等の傷害を負った(被告丙山との間で争いがなく、その余は甲二の9による。)。
亡一郎は、平成二年八月二七日死亡した(甲四)。
5 相続
原告春子は亡一郎の妻、原告夏子及び原告秋子は亡一郎の子であって、他に相続人はなく(甲三)、一郎の本件事故に基づく損害賠償請求権を原告春子が二分の一、原告夏子及び原告秋子が各四分の一ずつ相続した。
二 争点
1 本件事故による傷害と死亡との因果関係
(一) 原告ら主張
亡一郎は、舌癌の既往があり、平成元年五月一七日、同年七月五日、同年一一月二二日の三回手術を受けたが、手術後の経過は良好であり、平成二年四月五日退院した時点では、転移もなく、再発の危険性は四、五年ないということで、就労を再開し、片道一時間半かけてバイク通院していたところ、本件事故による傷害によって、体力が低下した上、主治医である薬師寺医師が述べるように、体の右側を下にしての臥床生活を余儀なくされ、右肺に痰が貯まったことによって、肺炎(沈下性肺炎)を併発し、無気肺となり、死亡するに至ったから、本件事故と亡一郎の死亡との間には因果関係がある。
(二) 被告ら主張
本件事故と亡一郎の死亡との因果関係は争う。
(被告ら補助参加人主張)
亡一郎の肺の症状は、癌が進行癌の段階であったことからは、その転移による可能性が高く、仮に、癌の転移がなかったとしても、本件事故当時、亡一郎は、癌ないしそれに対する治療である手術、抗癌剤投与等によって体力が落ちていたこと、MRSA肺炎に罹患していたことからすると、肺の症状は、本件事故による傷害によるものではなく、癌ないしそれに対する治療によるものである。また、亡一郎の肺炎に、右側を下にした臥床が影響を与えているとしても、それは、リンパ節に転移した癌の除去のため右側頸部郭清手術を受けたことによるものであって、本件事故による傷害とは関係ない。
2 損害
(原告ら主張)
(一) 亡一郎の損害
治療費三八万六五七〇円、家族付添費一二万円、入院雑費三万一二〇〇円、交通費三万二一五〇円、休業損害三七万円、入通院慰藉料七〇万円、死亡慰藉料一五〇〇万円、逸失利益一三〇四万〇九四六円
(二) 原告ら固有の損害
葬儀費用合計二三〇万円、慰藉料各原告二〇〇万円、弁護士費用原告春子一〇〇万円、原告夏子及び原告秋子各五〇万円
第三 争点に対する判断
一 本件事故前の亡一郎の症状
甲八の1ないし69、九の1ないし207、証人薬師寺の証言、原告春子本人尋問の結果によると、以下の事実が認められる。
亡一郎は、弟の経営するA株式会社で営業職として勤務していたが、平成元年一月一九日、右舌縁部の潰瘍が漸次増大するとして、大阪警察病院口腔外科で診察を受けたところ、潰瘍性舌癌で、組織型は原発巣の進行はそれほどでもなく、頸部リンパ節、遠隔臓器のいずれにも転移はないが、ステージ(癌の進行程度をⅠからⅣに分類するもの、Ⅰが早期癌であって、Ⅳが進行癌である。)Ⅱであると診断された。その後、同病院に通院し、担当医の指示により、組織内照射(放射線を染みこませた針を舌に差込む。)という放射線治療を受けるため、同年二月七日から同月二〇日まで右治療が可能な大阪大学医学部附属病院に入院し、右治療を受けた。
しかし、頸部リンパ節への癌転移の疑いがもたれ、大阪警察病院での、ほぼ週に一度の割合での経過観察を経て、薬師寺医師が担当医となった同年四月三日以降に原発巣である舌部に癌組織が認められたため、同年五月一二日同病院に入院し、同医師らに、同月一七日舌の半切除、右の全頸部郭清術(患部のみならず、その周辺の疑われる組織を全部切除する手術)を受けた。右手術は成功したものの、舌の運動障害が著しく、誤飲を起こすことがあったため同年七月五日舌の可動性を高める舌形成術を受け、同月三〇日に退院した。
その後、ほぼ週一度の割合で同病院に通院し、経過観察を受けたが、おとがい下に癌転移が認められ、同年一一月二〇日同病院に入院し、同月二二日その部分のリンパ節郭清術を受けたが、その際に、検査ないし肉眼では、癌は一つのリンパ節に認められたのみで、他のリンパ節や他の部位に転移は認められなかった。なお、切除されたリンパ節の癌は鎖骨にまでに進行しており、ステージⅣ(進行癌)に至っていた。亡一郎は、術後、嚥下障害を訴えた。一般的に、癌摘出手術後、検査ないし肉眼で認知しえない微細な癌を抑制するため、化学療法、即ち抗癌剤の投与が行われるが、それは、白血球、血小板の減少等の副作用の関係で、一度投与して、三週間休むのを繰り返し、三度投与する形式がとられていたところ、亡一郎に関しては、同年一二月四日から化学療法が開始され、同日が第一クール、同月二四日から第二クールが行われた。しかし、第二クール後経過不良と判断され、その後も嚥下困難を強く訴え、第三クールは延期され、同二年一月二九日から行われた。その後も嚥下困難を強く訴えたものの、それほど強く訴える原因は特定できず、同年二月二二日、白血球減少、貧血が認められ、抗癌剤投与はしばらく中止との判断を受けた。その間、しばしば、発熱、下痢、吐き気、脱水が認められ、嚥下障害によって、流動食の摂取や服薬が困難なことも少なくなかった。同年二月二三日肺のレントゲン検査を受けたが転移を疑う所見はなく、同月二六日食道ファイバースコープを受けたが食道の形態及び動きに異常はなかった。同年三月九日から発熱し、全身倦怠感を訴え、その頃から下痢、脱水も続いたが、肺炎の所見までもなく、同月一四日MRSA菌が検出されたが、抗生剤の効果もあって、発熱は落ち着き始めた。そのため同月二三日から外泊を始め、同年四月五日退院した。なお、その際、嚥下障害が改善していないので、流動食を流し込むための鼻から胃までのチューブ挿入も検討されたが、辛うじてそれは免がれた。また、MRSA菌のキャリアーであったが、体力が一定改善したこと及び抗生剤の効果で発症はしていなかった。
亡一郎は、その後同年五月一日まで週一回、その後は二週間に一回、同病院に通院し、経過観察、抗癌剤の服薬の治療を受けていたところ、同年四月七日には左頸部のリンパ節らしきものが認められたが、同年五月一四日にも大きくなっておらず、同月二八日胸部レントゲン検査を受けたが、異常は認められなかった。また、退院時に行動に制限はされておらず、退院後も病院から支給される流動食を摂取し、軟らかい物を食べることもあった。大阪府岸和田市の自宅から大阪市天王寺区の同病院まで自らが運転する原動機付自転車で片道一時間三〇分かけて通院するほどに体力が回復し、退院後ある程度たって、ある程度勤務も再開していた。なお、薬師寺医師は、亡一郎及び家族に、患部が右なので、一般的に、横になる際は右側を下にする傾向があるが、それを続けると痰が右肺に貯まり、沈下性肺炎を起こす危険があるので、避けるよう指導していたものの、亡一郎は従わず、横による場合には右側を下にしていた。
二 本件事故後の亡一郎の症状
前記認定の事実に、甲二の9、四、八の10、一〇の1ないし99、一三の1ないし3、一四の1ないし20、丙一、証人薬師寺及び証人西村の各証言、原告春子本人尋問の結果によると、以下の事実が認められる。
亡一郎は、本件事故当時である平成二年六月二五日加茂病院に通院し、翌日西村整形外科(担当医西村医師)に通院したところ、右膝関節に骨折部から出てきた血腫等が認められ、右膝関節顆間隆起部骨折(剥離骨折)、右手関節部挫傷、右膝関節部、右下腿擦過創、左膝関節部挫傷、右腰部挫傷が認められたが、そのうち、右膝部の骨折が重要で、他の部分は軽症であった。右大腿付け根から右足首にかけて膝関節伸展位でのギプスによる固定、湿布、投薬の処置を受け、松葉杖(両松葉)の貸与を受けた。なお、ギプスはプラスチック製で、寝返りができない程度のものではなかった。西村医師は、亡一郎に、座るか寝るかして安静を保ち、必要な動作だけは右下肢に荷重をかけずに両松葉で歩くように指示はしたものの、安静臥床までの指示はしていなかった。亡一郎は、同月二九日同病院で右膝関節穿刺、湿布、投薬の処置を受けた。その後、同年七月二日、六日、一〇日、同病院に通院し、湿布、投薬の処置を受けたが、一〇日には、骨片の転位はなく、腫脹が軽度との診断を受けた。同月一三日、一六日、二一日にも同病院に通院し、同様の処置を受けたが、一三日には右臀部の倦怠感、痛み、右腓腹筋の痛みを訴え、一六日には右腸骨部の痛みを訴えたものの、同日の骨盤のレントゲンによっても、癌転移は認められず、二一日にはそれらの痛みの訴えもなくなり、西村医師から、リハビリのため、右下肢に三分の一荷重をかけるように指示された。このような骨折では、一か月半から二か月ギプス固定し、その後、後療法に入るのが一般的だが、亡一郎は、この時期まで順調に回復していた。亡一郎の妻は、同月九日及び二三日、大阪警察病院を訪れ、薬師寺医師に亡一郎の受傷について報告し、薬剤及び流動食を受け取ったが、亡一郎は通院しなかった。亡一郎は、本件事故後は、右側を下にして寝ていることがほとんどであった。
亡一郎は、同月二八日西村整形外科に通院し、37.4度の発熱と痰を訴えたため、西村医師は気管支炎と判断し、抗生物質、下熱消炎剤、痰を切る薬等を投薬した。同月三〇日、同年八月三日、亡一郎の妻が同病院を訪れ、亡一郎が同様の症状である旨伝え、同様の投薬を受けた。亡一郎は、同年八月四日食物を受け付けなくなり、右記症状を訴え、徳州会病院に外来で受診したところ、肺炎ないし癌の肺転移の疑いで入院することとなり、発熱、倦怠感、咳痰等を訴えた。レントゲン所見では、両肺に小粒状の影が認められ、病巣の範囲が広く、経過によっては致命傷になる程度であったが、無気肺までは認められず、喀痰培養でMRSA菌が検出されていた。担当医である中村医師は、既往症である癌の関係から、薬師寺医師に連絡をとり、大阪警察病院へ転院させた。
亡一郎は、同年八月七日大阪警察病院に転院したが、その際の症状は、37.2度の発熱、呼吸は弱く速く、肺の音は右側が弱く、呼吸困難を訴え、PO2(動脈血中の酸素の飽和度)が健康体では九〇パーセント程度であるものが33.7パーセントと低く、チアノーゼはなかったが、臨床的、検査的にMRSA肺炎と診断され、酸素マスクの装着、抗生剤の投与、チューブによる高蛋白流動食による栄養補給が行われた。同日胸のレントゲン撮影がなされたが、右肺がすりガラス様で、気管は右側に寄っており、右横隔膜は上側に挙上していた。薬師寺医師は、誤飲性肺炎の可能性を検討したが、病変が右側のみなので否定し、癌等の腫瘍ないし客痰により右の気管が閉塞した閉塞性肺炎の可能性が大きいと判断した。亡一郎は、同月八日、気管切開し、気管支鏡により癌転移の有無を確認することとされたが、その結果、気管は正常で、喀痰も余り多量にないことがわかった。そこで、中心静脈栄養が施され、人工呼吸器も装着されたが、うまく慣れず、敗血症ショックとなった。その後、前記の治療を継続する他、抗生剤の変更、利尿剤の投与等の治療が続き、レントゲン検査によると、右肺ややきれいになり、気管の右偏位もやや改善されたが、右肺に病巣が広がり、体温の上下を繰り返し、敗血症ショックも改善したり、憎悪したりの状態であった。同月一四日、心停止があり、心臓マッサージによって回復するが、その後、不整脈が続き、期外収縮も多発し、尿よりカンジダ菌が検出され、MRSA肺炎に対する抗生物質も効果がなく、肝機能障害が認められ、同月一八日にはチアノーゼも見られるようになり、輸血も開始され、家族に生命の危険がある状態であるとの説明がなされた。同月一九日からも短期的には個々の症状が改善と判断されたこともあったが、発熱、期外収縮の他、頻脈が見られ、腎機能低下も見られるようになり、同月二六日には期外収縮が多発し、チアノーゼが見られ、同月二七日循環が不安定となって、死亡した。
死亡後、遺族の意志もあって、病理解剖されなかったため、肺等への癌転移の有無を直接確かめることはできなかった。
三 本件事故による傷害と死亡との因果関係(争点1)
1 亡一郎の死亡の機序に対する担当医の判断
丙一、証人薬師寺及び証人西村の各証言によると、以下の事実を認めることができる。
西村医師は、本件事故による傷害によって、亡一郎の右膝関節が伸展位のままで不自由であるため、ある程度は体力が低下する側面があるものの、寝た切りというほどの状況ではなかったので、それが一つの要因となって痰、発熱をもたらすことは考えにくいと判断している。
中村医師は、亡一郎の症状について、数日間しか診察していないため断定できず、最終的には薬師寺医師の判断に委ねるとしながら、肺への癌転移の可能性は否定できず、通常の肺炎と異なる印象をもち、抗癌剤の投与のため体力が弱まっていた可能性があり、前医で抗生剤の投与があれば、菌交替が起こり、肺炎がさらに修飾された可能性もあると判断している。
薬師寺医師は、亡一郎が肺炎となったのは、癌手術、抗生物質の投与によってある程度体力が落ちていたところに、癌治療の際MRSA菌に感染したが、その後、本件事故によって臥床が続き、臥床の際、癌手術の患部が右であったことも影響して、右側を下にし続けてしまい、痰が右肺に沈下したことによって沈下性肺炎を起こしたこと及びMRSA菌が活動化したことによる可能性が最も高いとして、癌転移によって前記の肺の症状が引き起こされたかについては、亡一郎の頸のリンパ腺への転移が鎖骨下に至っており、ステージⅣの進行癌の状況であったことからは、一般的には肺への癌転移は十分ありうるが、平成二年五月二八日のレントゲンの所見上肺への癌転移は認められず、その約二か月後である同年八月七日の転院時に右肺のみが無気肺の状態となっていたことからして、その可能性は低いとするものの、比較的小さな癌転移があり、痰の沈下、MRSA菌と重畳的に、前記の肺の症状を引き起こした可能性も十分あると判断している。
2 当裁判所の判断
右認定事実、各担当医の判断からすると、まず、亡一郎の死亡したのは、癌治療中に感染したMRSA菌によるMRSA肺炎も影響して、右肺の無気肺等の肺の症状がもたらされ、循環器不全が引き起こされたことによること、MRSA菌が発症したことには、亡一郎の癌に対する三度に渡る手術、それに引続く抗癌剤の投与等の癌ないしその治療による体力の低下が影響していることが認められるので、亡一郎の死亡の主な原因は既往の癌と判断するのが相当である。
そこで、次に、薬師寺は、本件事故によって臥床を余儀なくされ、右肺を下にしたことによる右肺への痰の沈下も、無気肺をもたらした一因であると判断し、原告らは、右判断に本件事故による体力低下が前記各症状の悪化に影響を与えたことを加え、本件事故による傷害と亡一郎の死亡とには相当因因果関係があると主張するので、その点を検討する。
確かに、平成二年八月七日、亡一郎が大阪警察病院に転院した際には、右肺のみが無気肺となっていたこと、そうであるのに、それまでのレントゲンで癌転移が認められなかったことからは、薬師寺医師の判断するように、痰の沈下が右肺の症状に影響していた可能性も否定しきれない。しかし、本件事故前も亡一郎は薬師寺医師の指示に反し、臥床する際には右側を下にしていたこと並びに本件事故による傷害の程度及び本件事故後西村医師は亡一郎に絶対安静を指示していなかったことから、ある程度座って過ごすことも不可能ではなかったことからすると、いちがいに本件事故の傷害によって亡一郎が右下にして横臥を続けたとは言い難いこと、本件事故による傷害は亡一郎の体力を直接悪化して発熱や喀痰を引き起こす程度に至っていなかったこと、本件事故後同年七月二七日に発熱、咳、痰が認められるまでは、気管支や肺に関する症状は認められず、その際の症状も、亡一郎、妻及び西村医師がいわゆる軽い風邪ととらえる程度のものであって、同年八月四日徳州会病院に入院した際右肺の無気肺は認められなかったこと、同年七月二七日以降急激に症状が悪化したのはMRSA菌の影響があり、それも抗生物質の投与によって修飾された可能性が低くなく、癌ないしその治療による体力低下も影響していること、また、右肺へ小さな癌転移があって、それが痰の沈下と競合した可能性も否定しきれず、むしろ、癌の進行の程度からはそのような推測も可能であること等を総合すると、本件事故による傷害が、亡一郎の前記肺の症状を憎悪させた可能性は低く、仮に何らかの影響を与えたとしても、関連はあまりに薄く、本件事故と死亡との間に相当因果関係を認めることはできない。
四 損害(小数点以下切り捨て)
1 治療費 一二八〇円
前記の治療経過からすると、西村整形外科での平成二年七月二八日より前の部分についての治療費全額と同外科の同日以降の部分の治療費から呼吸器症状分を控除した額(額の特定ができないので二分の一と推認する。)が本件事故の傷害によるものであると認められるから、甲五の1ないし4によって、右のとおり認められる。
2 交通費 五一六〇円
前記の治療経過からすると、西村整形外科への通院に関するものが本件事故の傷害によるものと認められるから、甲六の1ないし4によって、右のとおり認められる。
3 休業損害 一九万四六三〇円
甲七、原告春子本人尋問の結果に前記認定の事実を総合すると、亡一郎は、舌癌による入院、手術前は、弟の経営するA株式会社で営業職として勤務し、平成元年の年間給与所得は二二二万円であったが、平成二年四月五日退院した後、ある程度勤務していたと認められるところ、前記の症状の経過からすると、本件事故直前は前年の二分の一就労することができていたと推認するのが相当であって、本件事故による傷害によって、本件事故日である同年六月二五日から死亡した同年八月二七日までの六四日間就労できなかったものであるから、その間の損害は、左のとおりとなる。
111万円÷365×64=19万4630円
4 傷害慰藉料 五〇万円
前記認定の症状の経過からすると、本件事故による傷害による治療は通院六四日と判断すべきであって、右足がギプス固定されており、相当程度行動制限されていたこと等の症状を考慮にいれると、右額が相当である。
5 家族付添費、入院雑費、死亡慰藉料、逸失利益、葬儀費用 否定
前記のとおり、入院及び死亡は本件事故による傷害に基づくものでないから、本件事故による損害とは認められない。
6 損害合計 七〇万一〇七〇円
五 相続 原告春子 三五万〇五三五円、原告夏子及び原告秋子 各一七万五二六七円
右損害に前記の相続割合を考慮すると、右のとおりとなる。
六 弁護士費用 原告春子五万円、原告夏子、原告秋子二万五〇〇〇円
本件訴訟の経緯 認容額等からすると、右額をもって相当と認める。
七 結語
よって、原告らの請求は、原告春子が金四〇万〇五三五円、原告夏子及び原告秋子が各金二〇万〇二六七円及びこれらに対する不法行為の後である平成三年八月八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合の遅延損害金の支払いを求める限度で理由がある。
(裁判官水野有子)